20話)
『ごめんなさい。鍵を持ってくるから・・・。』
部屋の中で真理が言った時の、歩の様子。
軽く目を見開いた彼の様子は、驚きの表情だ。茉莉らしくない仕草に驚いたのかも知れない。
それを考えると・・・。
(やっぱり、バレているの?)
けれども、違う意味での驚きの表情かも知れなかった。
真相は“彼のみぞ知る”だ。
歩を侮ってはいけない。と、気持ちを引き締めて車に揺られていると、
「どうしたの?緊張するの?」
と、またおかしげな声で聞いてくる。
「いえ、そんな事ないわ。・・ただ、これからどこに行くのかなあ。なんて思っただけ。」
真理の応えに、
「今日はね。あいにく大した時間がとれないんだ。真理は公園が好きだよね。ちょうど桔梗が見頃の公園が近くにあるんで、そこに行こうと思っている。」
それを聞いて、やっぱり“歩”だと思った。
河田家の次期当主になっても、花を愛する気持ちを忘れていなかったのだ。
とても嬉しかった。
「そうなんだ。桔梗は私も好きよ。」
「だろう?もう少しで着くから・・。」
言う間もなく、車は軽くカーブして公園の中に入ってゆくのだった。
公園自体は、さほど広くはないようだった。どこにでもあるような公園だ。
小さな子供達や、ベビーカーを押す女性がチラホラ見えた。
車を駐車場に入れて、運転手を待たせたまま、歩と二人で公園に入ってゆく。
手を握りさえしない。微妙な関係だった。
結婚前の歩は、事あるごとに茉莉に触ってきては、苛立たせる事が多かったのに・・・。
(今の私は、茉莉じゃないもの。)
心の中でつぶやき、黙って彼の後を追う。
ほどなくして、桔梗が群衆している花壇の所に辿りついた。
歩の言った通り、綺麗に咲き誇っていた。
茎が細く、スクッと立つ姿は、貴婦人のよう。薄い青色の花弁が優雅に開いて美しかった。
(同じ例えるなら、茉莉は桔梗だと例えてくれたら、素直に喜んだのに・・。)
優雅な花弁を見ていると、ふいに思い出した。歩が言った、かつての言葉を。
(“ひまわり”だものね・・。)
ぼんやりそんな事を思っていると、
「ちょうどよかったな。」
満足気にうなずいてつぶやく歩に、真理もコクリとうなずいた。
その後二人は公園内を散歩して、ダリアやアガバンサスなどを見て回って、イスに腰掛け、缶ジュースを飲んだ。
何を話すわけでもないが、歩はこの時間をとてもリラックスして楽しんでいるようだ。
だが、彼が時間がないと言った通り、何げに時計をみて、目を開き、
「あっこんな時間だ。」
というと慌てて駐車場に向かって戻り出す。早歩きだと、彼とは歩幅が違うので、戸惑う真理にすばやく気づいた歩が、肩を抱いてくる。
おかげで、歩はゆっくりめの早歩き。真理は精一杯の小走り状態で二人は共に進む事ができたのだった。
(・・・・。)
肩を抱かれるだけなのに、露骨に触れられ、熱い視線を投げかけられるより、ドキドキするのは何故だろう・・・。
駐車場に着いた時には、真理の息が上がってしまっていた。
「ごめん。急がせすぎたね・・。」
言いながらも、歩は真理を車の中に押し込んだ。
そして、運転手に「出してくれ。」と、命じて、忙しげに時計を見たりなんかしている。
思いもよらずに時間が迫ってしまったらしい。
小走りで走ったせいで、上気したのだと思いたい。熱をもった頬を持て余して、ぼんやり歩の様子を見ていると、視線に気づいたらしい。
顔を上げて、目があった途端。
歩の手がスッと伸びて真理の頬を触った。
彼の顔がみるみる近づいてきて・・・。
気付くと、唇に軽いキスを落とされていた。
目を見開く真理に、歩は自笑気味な笑みを漏らして、
「真理が悪いんだよ。そんな顔して見つめてくるんだから・・。」
と、小さくささやくのである。
(なんっ・・。)
声も出ない真理の両頬を、今度は両手ではさみこんで、額のコツンとやってくる。
「今度の日曜日は、時間がとれるんだ。二人で出かけよう。」
言われて、真理は断ることが出来なかった。
また素直にコクンとうなずいてしまっていたのだ。
それは結婚前に、一瞬でも描いた夢の結婚生活の一部だったから。
夫と二人でショッピングをしたり、カフェに寄ったり、何でもない二人の生活の一部を共に過ごす・・。
(“河田茉莉”の時に、誘ってほしかったのに・・。
なぜここで誘うの?)
心の中の叫びを、言葉にするなんて出来なかった。
実家の高野の顔を潰すことが、ここでもできなかったからだ。
ボー然となる真理をよそに、車はあっというまに真理のマンションの前まで辿り着く。
歩は車から降りなかった。
「日曜日、10時頃に君のマンションに迎えにくるから。」
の一言を残して、あっという間に走り去ってしまった。
昨日と、まるで一緒のシチュエーションだ。
去ってゆく車の後ろ姿を、ぼんやり見つめ、大きなため息を一つ。
「こんな気持ちで・・・また晩御飯作る気がなくなったじゃない。」
つぶやくが、今日作っておかないと、野菜も悪くなりすぎだろう。
マンションに戻った真理は、ノロノロとご飯の支度をして、空虚な夕飯を食すのだった。
あれほど、ここでの一人遊びが楽しかったのに、すっかり色褪せてしまったのは、どうゆう訳なのだろうか。
「歩さんが悪いのよ・・・けれど、歩さんは何を考えて私に近づいてくるんだろう。」
自然につぶやきが漏れた。
「ただ、目にして気に入ったから?・・それとも全部バレていて、妙な仕掛けをして楽しんでいるの?」
自問自答して、答えが出るわけがなかった。